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八ケ(はっか)用水

写真
取入口(新宮川)

八ケ用水は、天保年間(1830~1844)の古文書「八ケ村出合用水定書之事」によると、「八ケ村用水」と呼ばれおり、子浦村、荻市村、柳瀬村、荻谷村、新保村、粟原村、粟生村、土橋村の8村がその恩恵を受けていた。

現在は、先の四ケ村は志雄町、後の四ケ村は羽咋市に統合されたが、その当時の固い結束は今なお根強く残っている。

長さ約6キロメートルの八ケ用水は、宝達山系を水源とする新宮川及び渋谷川の水を集め新宮村地内に取入口を設けて引水し、散田村の北側を縫うようにして子浦村に至っている。そして同村専勝寺の西隣で八ケ村にそれぞれ分水されるのだが、この分水を「大分木」と呼び、右岸の方から「下江」「上江」の2本に分かれている。

上江は300メートル程度下流に至って「弥五郎分木」となり、分水されたものはそれぞれ子浦、荻市、柳瀬、荻谷の各村の水田へ行く。下江は大分木より500メートル程下流に至って「草田分木」となり、ここで分水されたものがほとんど子浦、新保、粟原、粟生、土橋の水田へと注いでいる。

この八ケ用水は、いつも水不足に悩まされており、新宮川の水利だけでなく聖川村地内で堤(溜池)をつくり、その堤水も利用していた。しかしこれでもまだ十分ではなく、このことをめぐって上流と下流の対立が激しかった。

新宮川は砂利が多いため、よく水路に流れ込むといった悩みを抱えており、そこに雨が降るとさらに泥土も流れ込む事態に陥っていた。そのため常に江浚いをする必要があり、水路の両側には堀り揚げた砂利や泥土を積んでおく「土揚場」というものが、1~2メートルの幅で延々と設置されていた。この作業で人夫や補修に係る諸費用については、上流の新宮村や散田村は一切関わらなかった。

そのためか、上流の村々が一部用水を取水する際には厳しい取り決めがあり、八ケ村関係者が上流の取入口で水番をしている時は取水できず、上流が取水できるのは、昼と夜の番の交代時間の間だけであった。このわずかな時間の取水を「トキ水」と呼んだ。

また、このトキ水を取る時もその場所と塞き止め方にそれぞれ条件があり、新宮村地内は木の柵を使った「粗朶止め」、散田村地内は水路の脇にある雑草を利用した「草止め」、そして子浦村地内は泥を積み上げた「鍬止め」という方法を取り入れていた。

このように、様々な方法で用水の維持管理に取り組んできたのだが、昭和24年に42万トンの貯水量の新宮川ダムを完成することができ、長年苦しんだ用水の諸問題を解決するに至った。

地図

管理主体 八ヶ用水土地改良区 事務所 所在地 羽咋郡宝達志水町子浦レ92 受益面積 310ha 管理水路総延長 約6km

(平成11年9月)