石川県土地改良事業団体連合会 水土里ネットいしかわ

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いしかわの疏水百選

 稲作に欠かせない水を確保するために、先人たちは様々な技術・工夫で、数多くの用水(疏水)を造り上げてきました。日本の国土を縦横無尽にはりめぐらされた用水の中から、平成18年に、国民の皆さんの投票と選定委員の方々の意見を踏まえて「疏水百選」が決定しました。石川県内からは、加賀辰巳用水、金沢疏水群(大野庄用水・鞍月用水・長坂用水)、手取川疏水群(手取川七ヶ用水・宮竹用水)の3つが選ばれています。

加賀百万石の技の結晶-加賀辰巳用水(かがたつみようすい)

 「用水のまち」とも称させる金沢を代表する用水が辰巳用水です。江戸時代初期の1631年、金沢の町に大火が発生し、城を含めて城下1000戸を焼失しました。加賀藩三代藩主・前田利常は、大火の翌年、城の西を流れる犀川の水を城内に取り入れる工事を命じ、完成させたのが辰巳用水です。辰巳用水の完成により、それまで水のない空堀だった金沢城周辺の堀を水で満たすことができ、城の防御の面で大きな役割を担ったと言われています。


辰巳用水の東岩取水口

 辰巳用水の特徴としては、城から約10km離れた犀川の上流から取水し、その行程の3分の1がトンネルであること、流れの平均勾配が1000分の4と極めて緩やかなこと、いったん低い場所へ落ちた水を逆サイフォンの原理で城へ引きあげる仕組みを使っていることなどが挙げられ、当時としては非常に高度な技術であったと思われますが、わずか1年足らずで完成させています。
 造営当時は木管を使っていましたが、江戸時代後期に石管に取り替えられました。辰巳用水で使われていた石管は、石川県立歴史博物館の中庭や兼六園などで見ることができます。


兼六園の曲水


兼六園内に残る石管

 辰巳用水は、1653年に建設された玉川上水、1670年に建設された箱根用水とともに日本の三大用水とも称され、江戸時代の高い技術を今に伝えています。

 現在の辰巳用水は、犀川上流の右岸、東岩で取水しています。兼六園の六勝「宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望」のひとつ、「水泉」の美を醸しだしています。また、犀川上流部の約2kmの区間(大道割~錦町)に「辰巳用水遊歩道」が設けられており、木立の中を辰巳用水を眺めながら歩くことができる、趣深い散策路となっています。


辰巳用水遊歩道

城下町のせせらぎ-金沢疏水群(大野庄用水・鞍月用水・長坂用水)

 大野庄用水(おおのしょうようすい)、鞍月用水(くらつきようすい)、長坂用水(ながさかようすい)も、辰巳用水と同じく犀川から取水している用水です。

 大野庄用水は、金沢で最も古い用水で、天正年間(1573~92)に、加賀藩二代藩主・前田利長の命で造られたと言われています。金沢城の築城にあたり、旧宮腰(金石港)から、木材などの資材を運搬するために使われたことから、「御荷川(鬼川)」(おにがわ)とも呼ばれていました。現在は、犀川の桜橋の上流で取水して、金沢の中心部を流れています。長町武家屋敷跡周辺の土塀沿いを流れる風情豊かな様子は、城下町・金沢を代表する風景となっています。


大野庄用水

 鞍月用水は、香林坊など金沢の繁華街を流れ、涼しげな表情を見せています。鞍月用水も古い用水で、正保年間(1644~1648)に改修された記録が残っていますが、詳しいことは分かっていません。一部区間は金沢城の外堀(西外惣構堀)にも利用され、水力を利用して、製油、精米、製粉なども行われたそうです。遊歩道やポケットパークが整備され、潤いのある街並みを演出しています。


鞍月用水

 長坂用水は、金沢市の南部、寺町台地にあります。周辺には前田家代々の墓地がある野田山や大乗寺があり、宅地化が進んでいる場所でもあります。用水の成立は1671年、寺町台地一帯の灌漑のために造られ、この用水によって、周辺の村々で米作りが可能になったといわれています。昔ながらの風景を残す貴重な用水です。


長坂用水

加賀平野を潤す-手取川疏水群(手取川七ヶ用水・宮竹用水)

 手取川七ヶ用水と宮竹用水はどちらも石川県最大の河川、白山に源を発し、日本海に流れ出る手取川から取水されています。緑の田園風景が広がる加賀平野は、手取川の扇状地であり、豊かな平野を支えているのが、手取川七ヶ用水と宮竹用水です。

 手取川の右岸、富樫・郷・中村・山島・大慶寺・中島・砂川(現在は現新砂川)の七つの用水が引かれていたことから、七ヶ用水の名前があります。以前は、七つの用水がそれぞれに手取川から取水をしていましたが、1903年に「明治の大改修」と呼ばれる取入れ口をひとつにまとめる工事が行われました。このときにつくられた大水門と給水口は、当時のままに利用されており、近くには遊歩道が整備されています。


明治の大改修で造られた七ヶ用水大水門

 その後、昭和に入ってから大規模な改修工事「昭和の大改修」を行い、現在のような豊かに水が流れるようになりました。用水の水を取り入れた親水公園も造られ、憩いの場所になっています。


親水公園

 宮竹用水は、手取川の左岸に広がる用水です。手取川の対岸に位置する七ヶ用水と宮竹用水は、それぞれが手取川に取水口を設けており、渇水時には水争いの種となり、増水時期には堰堤が破れて水が村々に押し寄せるという問題がありました。


宮竹用水

 「昭和の大改修」で、七ヶ用水から手取川の下をくぐって宮竹用水に水を送る逆サイフォンによる分水工事が行われ、ようやく長年の水争いの歴史の幕を閉じました。現在の宮竹用水は、いくつかの用水に分岐しながら石川県南部を流れる梯川(かけはしがわ)へ流れ出ます。周辺では、水田や発電、洪水の防止、自然景観の保全など、様々に活用されています。


七ヶ宮竹分水工


発電所