いしかわの農業用水めぐり
御茶(おちゃ)用水
加賀産業開発道路に
接する受益地(荒木田地内)
軽海用水
御茶用水は、小松市の北部を流れる梯川の中海地内で取水し、約1㎞の間を流れている。受益地は軽海、荒木田、中海の3集落の農地67haで、軽海地内の3ヶ所と荒木田地内の1ヶ所で分水している。
御茶用水が造られたのは、延徳年間頃(1489~94)とされている。その昔、軽海村と荒木田村の灌漑飲料用水は今の軽海用水より分岐して御殿山の下を流水していたが、幾度となく洪水により水路が破壊され水田が水浸しになっていた。そのため村々の争いが絶えず、村人たちは百万谷の臼ケ渕から御殿山の下まで掘割用水として築工し、御殿山の下はトンネルとすることにした。
工事にあたっては、トンネル坑夫がいなかったため、能登の宝達山の坑夫を雇い入れて取り掛かった。幾人かの坑夫が岩石を掘削し、軽海・荒木田の農民が下仕事の人夫として工事を進めたそうである。
用水の名称は、加賀藩主2代目前田利長が領土地方巡察の折、軽海郷本村に立ち寄られ当時の村役人宅に小休された時、当家の主人がお茶をさし上げたところ大変おいしく召し上がられて、もう一杯おかわりされた。その際に、「この用水の水はお茶の水にも飲料水として適した良水である」と褒められたため、住民は喜び、用水の故事を生かして「お茶の水用水」と名付けたのが長く親しまれてきたものである。
水路の取入口付近には、全堰長127m、堰高1.5m、堰頂幅1.8mの御茶用水頭首工がある。以前は木工沈床でよく決壊していたため、昭和36年に団体営土地改良事業でコンクリート型に改修された。水路については、昭和52~58年に、尾小屋鉱山からの排水に含まれていたカドミニウムにより汚染された土壌の復旧作業として実施された県営公害防除特別土地改良事業(梯川流域地区)で改修した。このときに流路の変更も行い、軽海町の集落内を流れていた部分を集落の外側へと移動した。なお御茶用水は、同集落の中海中学校近くで軽海用水と交差しており、その高低差は2mほどある。
また、受益地内に国道360号線と主要地方道金沢・小松線(加賀産業開発道路)が交差して交通の要所となっていることから、国道沿いでは市街化が進んでいる。
このように御茶用水は、その維持管理が年々難しくなっている中で、農地を潤す水源としての役割を果たし続けている。
(平成13年8月)