石川県土地改良事業団体連合会 水土里ネットいしかわ

いしかわの農業用水めぐり

雁ノ池(がんのいけ)


池に飛来する
オオヒシクイ


天端が県道に
利用されている

 雁ノ池は、珠洲市北東の三崎町にあり、寺家、粟津、森腰、宇治、引砂、内方、高波の7集落の農地を潤している。

 この池は、堤塘の天端が県道187号線に利用されているほか、右岸、左岸とも両端に取水施設があり、2つの流域に分かれて各々の受益地を潤しているのが特徴である。貯水量は161,000m3 で、十分な水量が確保できる上、池のすぐ上流にある「みそ池」からの排水が流れ込むため、昔からかんばつによる水争いがなかったそうである。また、以前は、水位が下がりかんばつの恐れがあると考えられる場合は、ため池管理人が常に泊り込みで水番を行い管理の徹底を図っていたこともあったという。

 雁ノ池が造られたきっかけは、今から300年ほど前、みそ池がかんがいしていた通称「台流れ」という地で、開墾造成によって水田面積を増加することになったこと、また、かんがいによる営農技術の向上によって用水の必要性が高まったためと思われる。この時、先頭に立って工事の計画を進めたのが、抜群の精農家であった池田茂兵衛という人物であった。茂兵衛は、施工計画から人夫の割り振りまでを考えた上で地元の人たちを集め3日間にわたる討議を経て雁ノ池の造成を決定したという。着工したのは慶応元年(1865)で、1日平均40~50名の人夫により工事が進められた。慶応3年に完成し、関係者が出来上がった池を眺めつつ酒盛りを宴じていた時、雁が12羽1列となって池の西方より飛来し、上空を舞飛して西方へと飛び去った。それを見た茂兵衛が「雁ノ池」という名称を提案したところ、他の人たちも同意し、決定したということである。また、雁ノ池の歴史において最初にその名が登場するのは宝永元年(1704)頃の書物である。

 その後年月を経て、池の老朽化に伴って改修工事を行ってきたが、大正9年(1920)の洩水応急工事の際に、潜水作業に当たっていた大宮又作という人が底樋の一部に足が引かれ、帰らぬ人となるといった事故があった。その後、昭和54年から56年にかけての県営老朽溜池等整備事業(大規模)では、池の内部をシート張りにするなど大幅な改修工事を行った。

 現在雁ノ池には、その名のとおり越冬のため種々の渡り鳥が集い、国指定天然記念物のオオヒシクイの姿も見られる。

(平成13年5月)