石川県土地改良事業団体連合会 水土里ネットいしかわ

いしかわの農業用水めぐり

辰巳(たつみ)用水


市街地を流れる
辰巳用水


伏越に使われていた
石管特殊継手

 金沢市の中心部から見て辰巳(東南)の方角にあることからそう呼ばれるようになった辰巳用水は、犀川上流右岸の東岩で取水し、約4キロメートルの隧道、開水路を経て兼六園に引水している。全長12キロメートル、金沢市の歴史的文化遺産とも言える手掘りの水路は、今から370年前に作られた貴重なものである。

 その開削は寛永8年(1631年)、城下町6000戸、果ては金沢城までもが焼失した「法船寺焼き」と言われる大火事がきっかけと言われており、三代藩主前田利常が町の再建と同時に、新しい町づくりと今後の防火体制を確立するためにこの用水を建設することになった。この他にも城の防御強化、用水を利用した積極的な新田開発といった目的もあったと言われ、明治中期には、農業用水として水田100ヘクタールを潤していたとされている。

 この辰巳用水は、現在でも極めて高い測量技術が要求される導水隧道を誇り、軟弱地盤を避けて造られたため屈曲しているが、その勾配は正確無比で、必要な水量や流速を得るために水路構造まで細やかな計算・工夫が随所に見られる。そして何よりも、現役の水路ということがその技術水準の高さを証明している。

 構造の特徴としては、水位差を利用して水を高い位置まで引き上げる伏越(逆サイフォン)の手法が取り入れられており、当時、日本で初めてといえる大がかりなものであったと言える。そして、驚くべきことに、この偉業はわずか1年でなし遂げられたと記録されており、これは板屋兵四郎という人物の天才的技術によるものが大きいとされている。当時の伏越(サイフォン)は木管であったが、後に石管に代えられ、今も兼六園にある日本最古の噴水にも利用されている。

 また、この用水を造る時に培われた高度な技術が、各地の用水事業に与えた影響は大きかったと思われ、その難度や規模から、長野県の五郎兵衛新田用水、江戸の玉川上水、芦ノ湖から導水した箱根用水と並んで“日本四大用水”の一つにもなっている。

 こうした開削以来、市内を流れる鞍月用水、大野庄用水などとともに金沢の町づくりの一助となってきた辰巳用水。今後も、歴史ある城下町に潤いを与え続けてほしいものである。

(平成11年7月)