いしかわの農業用水めぐり
市之瀬(いちのせ)用水
用水取入口
(2級河川大聖寺川より取水)
用水の守り神となっている
市之瀬神社
加賀市別所町で大聖寺川右岸から取水し、山代温泉の市街地を流れる市之瀬用水は、大聖寺川と動橋川の間に広がる江沼平野の水田約550ヘクタールを潤している。
この用水は、何度かにわたって工事が進められており、寛永2年(1625年)加賀藩郡代吉田伊織が、山代領に新田を開くため久世左衛門宗吉に用水工事を命じたのが始まりとされている。その後寛永16年(1639年)、大聖寺藩が前田利治によって創設されたときにほぼ完了し、寛文5年(1665年)2代藩主前田利明の時に補修工事が行われ、約8.3キロメートルの全体が完成した。
この用水の工事は、夜はろうそくの明かりをたよりに全体の勾配を調べたり、掘削やくり抜きの多い難工事だったので、完成までに時間がかかるものであった。そのことから、いくつかの伝説が伝えられている。一つには、忌浪(いむなみ)神社の神様が用水の灌漑する村々の一人ずつの男の夢枕に立ち、早朝に起きて村内を見回るように告げられた。各人が見回ると糠が一筋曲がりくねってまかれており、それをたどって用水路をつけていったところ成功したという話がある。また、もう一つには村人がこの困難な工事のことを忌浪神社に一心に祈願したところ、ある夜夢に、白髭の老人が縄の帯で鍬を持って現れ、別所境の川上から岩の上に糠をまき、土の上には鍬で江形を作りながら桑原地内までやってきた。翌朝起きて探して見ると、夢の通りの江形があったので、そのとおりに仕事をしたら容易に完成したというのである。こうして無事工事を終えることができたのも、忌浪神社の加護があってのことと、大正時代までは毎年用水関係者が忌浪神社に初穂を供えていた。
この他にも、寛永6年に“山代神明宮”として建立され、現在20余村の総社となっている市之瀬神社(明治35年に改称)の神明宮三神の助けもあったということで、前田利常公が東西五間南北十二間の社地、田地一町、草高十六石を神領として寄進したとも言われている。この市之瀬神社は、今なお用水の守護神として地域の人々に崇拝されている。
こうして江沼平野を潤してきた市之瀬用水をよりよく知ってもらおうと、毎年6月頃に地元の小学校で、4年生の親子を対象にした「親子ハイキング」を実施しており、用水の取入口の見学や用水探検などを行っている。
こうして地域住民になじみの深いものとなっているこの用水は、以前は生活用水としても広く愛用されてきたが、最近、市街地山代温泉の急激な発展により用水の汚染が甚だしくなっており、それに伴う老朽化も著しくなってきた。この現状に対し、昭和54年度には県営かんがい排水事業として改修工事を進めるなど、用水の保全に努めている。
(平成11年4月)